5月22日は、島の大運動会。 六島で一緒に盛り上がりましょう。

早食い競争 コツがいります。
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老若男女、総出演です。
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かさおか島づくり海社では、毎月理事会を開催し、運営・事業の方向付けを行っています。

島づくり海社の運営を主に担当している事務局が中心となり、毎回事前に議題・報告を定め、その内容について理事の方々を含め出席者で協議・検討する、島づくり海社として何をどう行っていくべきかを考える、大切な会議です。今年最初となる1月の理事会は、14日に市民活動支援センターで行われました。

今回の理事会では、タイトル表記にもありますように、島の大運動会についても話し合いが行われ、5月22日(日)六島大の開催が決定・承認されました。

 

 

例年、大運動会の開催場所・日時については、開催年の1月頃より事務局員が島に伺い、島民の方々に打診、協議を行っていくのですが、今回は早めに昨年11月より六島島民の方々との話し合いを開始しました。そして今月の7日に、島民の方々に六島開催の合意を頂き、開催に向けて詳細を詰めていくスタートラインに立ったという状況です。

ここから『実行・競技内容』『当日の島間の参加者・物資の移動の手配』『実施体制』『広報』『会場』『渉外』などなど、開催当日を迎えるまでには(開催当日も慌ただしいのですが…)多くの準備が待ち構えており、またそれらはとても島づくり海社や笠岡諸島民だけでは無し得ず、市職員の方々をはじめ多くの方にご協力いただいています。

 

では『なぜそこまでして運動会を行うのか』『そもそも何故運動会なのか』ですが、そこには当HPの『設立のきっかけ』にもありますように、NPO法人かさおか島づくり海社結成から遡ること9年前の、とある討論会がきっかけでした。

 

 

平成9年、ゲンキ笠岡まちづくりフェスティバルの開催を機に行われた島おこし討論会で、『このまま何もしなければ島が沈没してしまう…』と危機感を抱いた島の有志達が同年6月、「島をゲンキにする会」を立ち上げました。

この時に「島をどうしたら元気にできるか。島に何が必要か」について、話し合い続けた結果、お互いの島のことをほとんど知らなかったことが 改めて分かりました。 その頃まで笠岡諸島の各島では、島外の繋がり は陸地部とはあるものの、笠岡諸島内の他の島ではほとんど無く、「隣の島でも行ったことが無い」という島民はとても多かったそうです。

 

そこで、島同士でお互いに訪問し合って知ることからはじめよう、という話になり、そこで、7つの島同士がつながり、 連携を高めて一緒に島おこしが出来るものとして、7島 合同で「島の大運動会」を開催することになりました。

大運動会については、島民が企画提案し、市が事業支援するという体制での実施となり、その名前については島のお年寄りの案が採用されました。そして翌平成10年5月、今から18年前に『島をひとつに 心はひとつに』というテーマを掲げ、北木島を会場に第1回島の大運動会が開催されました。当日は、各島のほとんどの島民たちが北木島に結集したため、「運動会が 行われた北木島以外の島には、猫しか残っていなかった」と言われ、7島の全島民 はもとより、島を離れ本土に移り住んでいる島出身者なども含めて 5,000 人ほどの人たちが参加したと言われています。その後大運動会は回数を重ね、会場は、高島・白石島・北木島・真鍋島・飛島(大飛島と小飛島)・六島と、笠岡諸島6島を巡回する形で、昨年は第17回大会を飛島で開催しています。

 

 

 

このように、『何かしなければ!』の想いが形となった島の大運動会は、その後笠岡諸島の横の連携作りに大きな役割を果たし、島に暮す女性のネットワーク「笠岡諸島生き活き会」の結成、『しまべん』など笠岡諸島の特産品開発や、アンテナショップ『ゆめぽーと』の立ち上げ、『島おこし海援隊』の結成などなど、今日の笠岡諸島を支えるモノゴトの、多くのきっかけに繋がりました。ひいては『島の大運動会なくして島づくり海社なし』とも言えるかもしれません。

 

毎回開催地の島の方々、開催地ではないけど前日準備などサポートに来て下さる島外の方々、市の職員の方々、島縁の方々など、多くの方と一緒に作り上げている年に1度の交流イベントです。

今年も多くの方に足を運んでいただければ幸いです。

 

当日は笠岡諸島の船もフル稼働です。
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メディアや応援団の方にもお世話になります
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心地よい疲労感に包まれます。
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